
女子サッカーのなでしこジャパンが先日の南アフリカ戦で引き分けた
試合全部を見たわけではないけれど
もっと点が取れる相手ではないのか、という思いがあったのに
やたらパスをまわすだけで攻めていかないのが不思議な光景に映った
後半であったし点を取られるよりはパスをまわして
時間を稼ぐの作戦なんだろうと思ったりはしたが
試合終了後、佐々木監督は2位通過を狙って引き分けに持ち込んだのだと明かした
なるほどそういうことか、作戦としてはそれもありだと思う
とはいえ、それが簡単に出来ることだとは思わない
なにしろ、もし相手にゴールされたらこちらもゴールしなければ
引き分けには出来ないわけだから
積極的にゴールを狙わなくても相手にゴールさせない堅守が必要とされるわけで
少なくとも前半から後半途中まではゴールを狙っていたことは事実でしょう
試合前から監督には『状況に応じて引き分け狙いもある』と示唆されていたそうだ
決して彼女達のモチベーションが低かったとは思わない
引き分けの指示に対しても納得して挑んだのだと思う
ただ、それだけに次へのハードルが高くなったことは確かだ
後にバトミントンの試合で
準々決勝以降の組み合わせを有利にしようとして1次リーグで無気力試合を行ったため
BWFが規定違反と判断して失格処分が下された
世界バドミントン連盟(BWF)には、公認する大会を公正に運営するため、「勝利のための全力プレーを怠ること」など罰則の対象となる項目として選手の行動に関する規定があるそうです
勝負というのは当然駆け引きも必要なときがあるでしょうが
故意に負けようとするなんてオリンピックの場にはあってはならないでしょう
誰もが一戦一戦を必死で勝利しようとしているものだとばかり思っていたのに
ただメダルを取りに行く、そのためには手段を選ばず・・的なことは
どこまで認めてもいいものなのか・・・考えると・・また眠れない
いや、私が考えなくてもいいことでしょうけれど
オリンピックという経験
20120801

夏には黄色い花が似合うような気がする
黄色い花が元気に見える、というのかな
さて、連日のオリンピック
様々なドラマがありますねぇ
負けた人には負けた人、勝った人には勝った人の
それぞれの今までの人生や生き方があったからの喜びであり悔しさなのでしょう
誰もが頂点を目指してやってきた事は偽らざる事実だと思う
そこにその場に競技をする者として立つことが出来たことだけでも
もうそれはある意味で頂点だとも私はそう思う
柔道の福見友子選手は
いわばヤワラちゃんの影にいた人とも言える
ヤワラちゃんに勝ったのにオリンピックへの切符はもらえなかった人だ
その時に彼女が出ていたら結果はどうなっていたかは
今となって考えてもせん無いことだ
福見選手にそのときの悔しさがあったからこそ
今回のオリンピックがあったのかもしれないし
やっと掴んだこのチャンスを彼女はきっと
何としてでもヤワラちゃんを超えたかったと思う
しかしながらメダルにはあと一歩のところで届かなかった
恐らく悔しさでいっぱいでしょう
でも、オリンピックという場へ出てメダルを手にするということ
それがどういう事なのか、ということも
身をもって経験できたと思う
ヤワラちゃんは92年のバルセロナに始まり08年の北京まで
のオリンピックですべてメダルを手にしている
確かに選手選考の過程には不透明な部分はあったかもしれないが
それだけの成績を残す為には
それなりの重圧も計り知れないものがあっての成績だということも
福見選手は経験で掴んだのではないだろうか
しかしながら・・・・